第1部・鉄と生きる
第3回/2009年1月5日掲載
肩ぶつかり合う商店街
《輪西地区(下)》
社宅離れで打撃受ける

 新日本製鉄室蘭製鉄所の社員数のピークは、戦後の工場拡張・増強が真っただ中だった昭和37年の9936人(富士製鉄時代)。輪西地区の人口も翌38年に最多の19898人に達し、富士鉄社宅住民は4149人と2割を占めていた。


 
■ 盛 況

 輪西商店街振興組合理事長の土田昌司郎さん(62)は当時の輪西の繁華街の盛況ぶりを語る。「関連会社も含め仕事帰りの社員が商店・飲食店街にあふれて、肩と肩がぶつかり合うほどだった。市内では室蘭(中央町)に次いでにぎわっていたんじゃないか」

 中でも酒屋や雑貨屋が設けた酒の立ち飲みカウンターは、労働者たちの心と体を癒やす「もっきり」としてどこも混雑していた。「労働者のマチだから、もっきり、焼き鳥屋、ラーメン屋など低料金で飲めて食べられる店が多かった」。輪西第一町会長の岡原正司さん(78)は振り返る。


 
■ 独 立

 社宅街が地区内6カ所にあり、隣接する商店街も潤った。「ただし、社員と家族向けの配給所や床屋、銭湯もあったから。体育館や球場も完備されていて社宅街は一つのマチだった」(土田さん)。当時の商店街にとって新日鉄と社宅街は“独立社会”だったようだ。

 30年代に社宅が長屋から鉄筋アパートに変わり、50年代以降は社の持ち家奨励で多くの社員世帯が輪西を離れた。「マイカー時代になっていたから、ほかから通勤してくる社員が仕事が終わっても真っすぐ帰るようになった。構内からマチに出なくなり、輪西には大きな打撃でした」(土田さん)


 
■ 密 接

輪西町の市民会館落成を記念して新日鉄室蘭が寄贈した高炉の炉底レンガ。新日鉄とマチ場との友好の証し
輪西町の市民会館落成を記念して新日鉄室蘭が寄贈した高炉の炉底レンガ。新日鉄とマチ場との友好の証し
 社とマチ場の距離が近付いたのは、皮肉にも社員が減少した50年代以降の合理化、高炉休止問題あたりからだという。社員減少もあって、新日鉄独自に行っていた輪西神社例大祭などの行事を町会、商店街との共催に移行。50年には新日鉄と町会、商店街などによる輪西商工懇話会を設立し、定期的に親ぼく・交流を深めるようになった。

 同懇話会の平武彦会長は「社員がひしめいていた社宅時代よりも、今の方が会社とマチ場とのつながりが深くなっているんじゃないか」と良好な協力関係にあることを強調する。平成13年に新日鉄所有地に複合商業施設「ぷらっと・てついち」、14年に市民会館が誕生。アイアンフェスタも毎年開催するなど、社とマチ場は密接の度を深めている。

(山田晃司)


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